「なんだありゃ…。」
エドワードは目の前の光景に呆然と呟いた。
ここは東方司令部の建物裏に位置するちょっとした穴場スポット。
良い資料が入ったからと上司に文献を借りた時、天気が良いと足を運ぶ、エドワードのお気に入りの場所だ。
手入れがされていないせいか木が生い茂り、雑草もぼうぼうと生えているが、誰が置いたのか日の当たる場所に小さなベンチが設えてある。
小春日和という言葉がぴったりの今日、溜まりに溜まった報告書を提出して図書館に行ったら新しい生体関連の文献が入荷されていて、それじゃあと読書の合間に摘めそうな軽食を買い込みここへ来た。
ここで人に会うことは滅多に、というか今まで一度も無く、まさか先客がいるとは思ってもみなかったのでがっかりと肩を落とす。
しかし別にそこに人が居たのが「なんだありゃ」な訳ではない。
問題はその格好にあった。
建物の壁に頭を向け、雑草を掻き分けてはごそごそと蠢くその姿。
司令部内なのだから軍服を身に纏っているのは当たり前としても、軍人がこんな姿を人目に晒しても良いのだろうかという見事な四つん這いで。
まさかこんな場所で一人で匍匐全身の練習している訳ではないよな?なんて馬鹿みたいな想像をしてしまう。
軍に出入りするようになって一年。
すっかり顔見知りも多くなったここで、一体誰があんな格好をしているのだろうかと気配を消してそっと近づいてみた。
毛足の長い雑草に頭を突っ込んでいる為か、黒髪が見え隠れする以外特に特徴的なところは無い。
中肉中背、大柄の人間が多い(それはエドワードにとってとても屈辱なのだが)軍部においては割りと小柄な方なのかもしれない。
もしかしたら何か落し物でもしてしまって、それを探しているのだろうか。
それならば手伝ってあげなければと、声を掛ける事にした。
「なぁ、どしたの?なんか落し物?」
「………っ!!」
相当驚いたのだろう、全身をびくりと揺らし動きを止めたその男は、少しの間を開けておそるおそるとも取れる緩慢な動きで頭を上げ。
「…はがねの?」
「たい…さ?」
髪に枯葉を付け、頬は泥で汚れているが、それは間違いなくエドワードの上司、ロイ・マスタングに他ならなかった。
国軍大佐ともあろう者が、こんなに緊張感が無くて良いのだろうかと米神を指で押さえ暫し苦悩する。
「君ねぇ、気配を消して近づくのは止めたまえよ。」
「いや、気付かねぇアンタが悪いと思うぜ…俺が暗殺者とかだったら今頃死んでるぞ?」
流石に恥ずかしいのだろうか、微妙にではあったが頬を染めて必死で文句を言ってくる目の前のいい年こいたおっさんが妙に可愛らしく感じてエドワードは目を細めた。
「で、何してたの?」
「う、いや…そのだな。」
「言えっての。どうせサボってたんだろ?言わないと中尉にバラすぜ?」
「怒られるのはもう決定事項だから別に構わんよ。」
負けじと言い返す割には顔色が悪くなったロイに、思わず笑いがこみ上げる。
「じゃああれだ、昨日の昼頃二番街のオープンカフェで「すいませんでした!ていうか君昨日こっちに到着していたなら顔を出したまえ!」
「いいだろ別に。とにかく教えろ♪」
「笑わないかね?」
「うーん?多分。」
「………。」
「解った、笑わねぇから。」
戸惑い、話す事を躊躇するロイに益々好奇心が沸いてしまうのは当然の事で、笑いはしないけどネタにはしてやろうと心に決め、真面目な顔で頷いて見せた。
「蟻の…」
「蟻?」
「蟻の巣の観察を…。」
「…………。」
「だってほら、きちんと隊列を組んで仕事をするんだ!軍人みたいじゃないか!」
必死で言い募るのもなんだか情けなくて、視線があちらこちらへ飛んでしまう。
挙動不審とも言えるその姿を金色の大きな瞳をまあるくして凝視され、思わず固まり次の言葉を緊張の面持ちで待った。
「大佐…か…」
「か?」
「可愛い!!!」
「うわっ!」
地面にべったりと座り込んでいた所に突然首に抱きつかれ、支えきれずに身体が傾いたが、それを支えてくれたのは小さくも力強い鋼の右腕だった。
生身の掌がぐりぐりと頭を撫でる。
「可愛い!俺大佐がすっげー好きになっちゃった!!」
「は…ぁ、ありがとう?ていうかそろそろ離したま…」
ちゅっ。
抗おうとした瞬間目の前を覆ったのは太陽を受けてきらきらと輝く金色。
唇に掠めた柔らかな感触と相俟って、初めて部下である鋼の錬金術師にキスをされたのだと気が付いた。
「はがっ…」
「大佐好き!俺の恋人になって!!」
「は?落ち着きなさい鋼の!私は男で君もおと…」
「…は?あんたちゃんと書類見てねぇのか?俺女なんだけど。」
「女っ??」
不機嫌そうに唇を尖らせる子供を上から下まで舐めるように見る。
そう言われてみれば、少年と言うには細すぎる喉仏の無い首、ベルトで絞った腰からヒップのラインはコートで隠れてはいるが随分とまろい。
せめて乳房がもう少し育っていたのなら気付いてやれたかもしれないのだが、如何せん少年と言われても「そうですか」で終わってしまうだろう。
「ひでぇ…アンタ職務怠慢だぜ。」
「す、すまない!」
「解ったんなら恋人になれ。」
「や、それとこれとは…。」
戸惑いを見せるロイに焦れるエドワード。
よく考えてみれば、少女だと認識したとしても相手はまだ13になったばかりで、標準よりも小柄な身体はあまりにも幼く、当然とも言える反応なのだが、既に国家錬金術師として独立しているエドワードにはそんな概念は無い。
ぎゅうぎゅうと抱き締められ、お情け程度に膨らんだ乳房が頬に当たって、犯罪者のような心地だ。
巷ではイーストシティの恋人とまで呼ばれ、女誑しの浮名を流すロイだったが、エドワードはあまりにも射程範囲外過ぎた。
「やだ?俺のこときらい?」
「や、そういう訳ではなくてだね。何と言おうか…。」
「大佐は女なら誰でもいいんじゃねぇの?」
「なっ!誰だそんな事を言うのは!!」
「違うの?俺じゃだめなの?」
しょんぼりと俯いてしまうエドワードの肩がやけに細く見せてどきんと胸が高鳴った。
「駄目じゃない!そういう意味ではなくてね。君はまだ…子供だからその…モラルとかそういうだね…。」
「もらる?」
きょとんと首を傾げる仕草が妙に歳相応で可愛らしい。
ロイはエドワードの腕を外し、膝の上に乗せると背中をぽんぽんと宥める様に叩いてやった。
「いや、君に失礼になるからハッキリ言おう。私は今の所特定の恋人を作るつもりはないのだよ。」
「じゃあいつ作るんだ?」
「一生作らない…かもしれないね。」
「なんで?」
「色々あるんだ。」
「ふーん。でも”かもしれない”ってことは作る可能性もあるって事だよな?」
ぱっと顔を上げたエドワードの表情は、いっそ清々しい位に真っ直ぐで、勢いに飲まれたロイはこくりと頷く事しかできなかった。
「じゃあ俺頑張る。大佐の恋人になれるように頑張るからな!」
「は?いや待て鋼の!」
「エディ。」
「え、ディ?」
「そう、俺のことはエディって呼んで?」
「いやだから鋼…っ」
鋼の、と言おうとした唇を人差し指で止めて、まるで小悪魔のように笑う。
「次、鋼のって呼んだら俺の知ってる事全部中尉に話すから♪」
「はっ?…は…エディ!何の事だね?」
「俺、この町では結構人気者なんだよね。顔も広いし…アンタの噂は全部入ってくるんだ…苦情も込みで…。」
「ほ…ほう。」
「役に立ったなぁ、いつか利用してやろうと思って全部揉み消しておいてやったの。」
くすくすと笑うエドワードからは最早無邪気などとは程遠いオーラが漂っていて、背中を怖気が這い上がってきた。
思うところのありすぎる実生活を改めなければ自分には未来は無いかもしれないとすら思う。
しかし改められると言うのならばこんなにも毎日のように中尉の銃の的になったりはしないのだ。
ロイはそれならば、このおままごと遊びに付き合ってやったほうが手っ取り早くて楽だろうと考え、そのままストレートに口にした。
「はがっ…いやエディ!私と…私とお付き合いしてくださいっ。」
「やだ。」
「な、なんで!」
エドワードが望んだことを口にしたはずなのに素気無く拒絶され、途方に暮れた。
子供の考えることは訳がわからない。
「俺のこと好きでもないのにお付き合いできません。」
「好き…だが。」
「嘘。恋愛感情じゃない。」
「じゃあ、何でさっきは?」
「ああ、だってアンタ誰でもいいなら俺のこともすぐ好きになってくれるんだろって…。んなはずねぇよな、流石に。」
「………。」
この子供が普通の子供ではないのだと失念していたロイの負けである。
あくまでも純粋で、誤魔化しなど利くはずも無く。
基よりポジティブな精神を持っているエドワードだからそれは尚のこと。
「大丈夫、俺大佐に好きになってもらうから。覚悟しとけよ?」
「覚悟って…。」
不意にぶつかった視線。
その瞳はいつか見た焔を湛えていて、少女の本気を垣間見せる。
引き込まれそうになる深い深い金色に、思わず唾を飲み込んで慌てて視線を逸らした。
甘やかさの欠片も無い強い眼光は、覚悟しろという言葉の通りにまるで戦いを挑む直前の戦士ようだ。
知ったばかりの事実、この子が少女であるという事すらも嘘ではないのかと疑ってしまうほどに勇ましく、そんじょそこらの男では太刀打ちできないだろう潔さすら見せて。
「わかった…。覚悟しておくとしようか。」
「おう!」
ぱぁ、と花が綻ぶような笑顔に思わず視線を奪われたのは秘密にしておこう。
「じゃあまず手始めに…。」
ちょこんと乗っていた膝の上からもぞもぞと降りる。
両手を草の上についてじっと土と壁の境目を見つめ。
「一緒に蟻の観察しようぜ?」
「あ、あぁ。」
「なぁ知ってる?薄い透明の箱に土入れて蟻入れておくと巣を観察できるんだぜ!昔アルとやったんだー♪」
二人で肩を並べて蟻の動きを追う。
エドワードのポケットに入っていた飴を砕いて置いてみたり、時間を忘れて互いの小さな蟻知識を披露しあう。
先程まで「好きだ」なんて言っていたとは思えない無邪気な様子にロイはほっと息を吐いた。
子供と大人の価値観の違いと温度差に気付かされるのはもう少し先の事である。
01END
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